リトルの広場

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大阪東リトルリーグの出身で、2002年の「M-1グランプリ」王者。人気漫才コンビ「ますだおかだ」(松竹芸能所属)の岡田圭右さんから、現役リトルリーガーのために、素晴らしいメッセージ頂きましたのでご紹介します。



思い出の背番号「62」
もう30年ぐらい経つのでしょうか・・
今でもはじめてユニフォームをもらった時の事は、鮮明におぼえています。
「62」番。
うれしくて うれしくて 家に帰ってもずっと着ていました。
小2~中1までほとんど毎日 練習ない日も、野球ばっかりしていました。
本当 野球が好きでした。
と同時に友だちと一緒にいるのが好きだったと思います。
このリトルリーグでは、今思うと野球以外にも多くの事を学びました。
友情 友だちの大切さ そしてもうひとつ 先輩 コーチ カントク いわゆる 目上の人に対しての尊敬の念。
私も2人の子供がいますが、最近言われている大人への尊敬 敬語などがなくなっている事・・・
そういう意味では私はリトルリーグで友だちの大切さや目上、人生の先輩の方々へのうやまう気持ちなどを学ばしていただき本当に感謝しています。

人間「岡田圭右」にとって、大阪東リトルは基礎の部分、芯の部分であるような気がします。
「閉店ガラガラ」



   漫才師
岡田 圭右(おかだ けいすけ)
大阪東リトルリーグ出身で、リトルリーグでは、当時ピッチャーだった清原和博(岸和田リトル)と対戦したことがある。
独特のキャラクターで人気を集め、正統派のしゃべくり漫才の実力派コンビ。
"頑張れば、何とかなる"
今回ご登場願った中川さんは関西連盟初期のリトルリーグOB。
のちにゴルフ界に転進し、日本アマチュアゴルフ選手権優勝をはじめ通算54勝をマークしトップ・アマとして大活躍され、現在は大阪府議会議員として政治の世界で活躍されている。
そんな輝かしいキャリアを誇る中川さんにリトルリーグ時代の思い出話や後輩たちへのアドバイスなどを語っていただいた。

Q・中川さんは関西連盟が発足した直後の昭和46年にリトルリーグに入られたとか?
中川「そうなんです。私が最初に入団したのは大阪淀川リーグで、小学5年生の時でした。しばらくして豊中リーグが出来たので、地元に戻って豊中の第1期生になったのです」

Q・その頃の思い出話をお願いします
 中川「当時、リトルリーグは少年野球選手たちの憧れと言うか、ステータスみたいな存在だった。念願叶って入団したものの、60人ぐらいいた選手は、みんな私より体が大きくて、ちょっと気後れしました。でも、そこでくじけていたら終りですから、私なりに工夫したんです。」
Q・どんなふうに...
 中川「体の大きい選手とまともに張り合っても勝ち目はない。体の小さい私にだけしか出来ないことは何かないかと...。そう考えてみんなが嫌がるバントや走塁の練習を懸命にやりました。これが認められてレギュラーになれたのですが、2年間のリトルリーグ生活の中で"頑張れば、何とかなる"というスピリットを身をもって体験できたのは、その後の私の人生で大きな部分を占めていると思います」

Q・リトル卒団後はゴルフに進まれ、トップ・アマとして大活躍されるわけですが、リトルリーグでの体験が少なからず生かされた?
 中川「勿論です。2年間のリトルでの生活は非常に中身の濃いものでした。単に野球が上達しただけでなく、多感な時期に頑張ること、人に負けたくない気持ちを植え付けられましたからね。そういう精神的なバックボーンがあったからこそ、厳しい練習にも耐えることができ、アマ・ゴルフ界の第一線で活躍できたと思っています。」

Q・ところで、中川さんのお父さんは豊中リーグの初代会長、息子さんもリトルリーグ出身と三代にわたるリトル・ファミリーですね
中川「教育委員会関係の仕事をしていた父親の勧めでリトルリーグに入団したのですが、結果的には私にとって大正解の選択でした。息子もリトルで学んだことを生かして一人前の社会人に成長して欲しいです。そういう意味でリトルリーグには大変感謝しています」

Q・現在、関西連盟の各リーグには約1500人のリトル球児たちが在籍しています。夢と希望に胸を膨らませながら練習に取り組む彼らにスポーツ界の大先輩として激励のメッセージを贈ってください
中川「難しいことは言いません。とにかく頑張りなさい。頑張れば必ずなんとかなるし、いいことももあります。選手たちにこれを体験してもらいたいために少しでも役立てばと、ボランティアで活動に参加させてもらっています」



   大阪府議会議員、豊中リトルリーグ会長
中川隆弘氏(なかがわ・たかひろ)
近畿大学を卒業後、昭和60年日本アマゴルフでは2位に7打差をつけて優勝。
その後、大阪府議会議員に当選。現在は、出身である豊中リトルリーグの会長として子供たちをサポートして頂いている。
今回ご登場願った溝端延彦さんは、リトルリーグ関西連盟の第4代目理事長。
5期10年(昭和60年~平成7年)の在任時代には連盟規約、バウンダリー規定の改正などの抜本的な改革に手腕を発揮された。
かくかくたるキャリアの持ち主だけに、現在も連盟副会長の立場から後輩役員連のよきアドバイザー役として関西連盟には欠かせない重鎮的な存在でもあります。

"預かった選手は、責任を持って送り出す・・"

Q・最初に、リトルリーグに参画された当時のお話からお伺いします
溝端「初めてリトルリーグの存在を知ったのは、今から39年前の昭和45年、37歳の時でした。当時、私は青年会議所のメンバーでして、その関係でリトルリーグの活動をサポートするようになったのです」

Q・たいていの方は、まず自分の子供がリトルに入団してから父兄として参加するケースが多いのですが...
溝端「私の場合はまったくその逆ですね。私自身、大学時代(同志社大)には準硬式野球をやった経験もあり、もともと野球大好き人間。それだけにリトルリーグの基本理念や活動を理解するのにそんなに時間はかからなかったですね。これなら大丈夫...ということで、息子も入団させたのです。息子が在籍したのは1年間だけでしたがね」

 Qその代わりお父さんの方はますますリトルの魅力にハマっていったわけですね
溝端「そういうことになりますかね。とにかく最初の頃は、中田大三郎さん(第3代目理事長)はじめ立派な方が大勢、先輩として周囲にいらっしゃったお陰で、いろいろと勉強させていただきました」

Q永い間、理事長はじめ連盟の要職をつとめてこられた経験からリトルリーグの現状についてのご感想は?
溝端「全体的にちょっと元気がないような気がしますね。皆さん、それなりの志と情熱をもってリトルリーグに関わっているのだったら、もっとそれを表に出す努力をしてほしい。子供たちのお手本になるよう、世話をする大人たちがまず元気を出さないと...。もう一つは、何事にも余裕が感じられないですね。不況続きでリトルを取り巻く環境は一層厳しくなってきているが、こういう時こそ余裕をもって、事に当る必要がありと思いますね」

Qその点に関して言えば、最近の貝塚リーグは非常に元気がいいですね。どんなリーグ運営をやっているんですか
溝端「現在、60数人の団員がいますが、これはウチの"企業努力"の結晶とも言える数字です。単に選手募集のビラを配るだけでは、子供は集まりません。例えば、市内の小学校の校長会に働きかけてリトルリーグのPRするとか、地域で様々な努力をやっているわけです。それと大事なのは、責任を持って子供を預かり、在籍期間中は心身両面で十分なケアをし、責任を持って送り出すという方針。これを徹底させていけば、必ず効果は出て来るんじゃないですか」

Q昨年はリトルは全日本選手権、シニアも全国選抜出場。会長さんは大忙し...といった感じですね
溝端「子供たちが頑張ってくれて、最近は感激の連続。子供たちに精いっぱい元気をもらっています。これからもグラウンドで子供たちと一緒に大きな声を出しながら頑張って行きます」